さぁ早く食べてください
無防備に晒されたその指で

 
 
 
 君の指が摘むトリュフ
 
 
 

鳥が囀る。日の遅い冬の朝。
とりあえず、静かな朝だった事だけは確かだった。

「愛しの骸です!!開けてください!」

変態が玄関の扉に張り付くまでは。
別に名乗らなくても、こんな事をする人なんか一人しか知らない。

「ねぇ、何しに来たの。」

もう何回目になるのかも覚えてないぐらいだ。
開けたら入ってくるのは目に見えている。
そして僕は今から学校へ行く。
…外に出れない。
ドアを眺めていても、引き下がる気配は無し。
仕方なく、僕はポケットからケータイを取り出した。
アドレス帳からじゃなく、着信履歴の一番上の番号にかける。

煩いドアの外。
静かな玄関。
無機質なコール。


『―――はい骸です!恭弥、どうしてケータイなんですか!?』
「ドア開けたら入ってくるでしょ。僕いまから学校なんだけど。」


外から聞こえる声が、何秒かあとにハッキリと聞こえてくる。
外にいる人の滑稽さに思わず嘲笑。
僕は暖かい玄関の壁に寄りかかって籠城。
君は寒い扉の向こうでケータイと持久戦。
僕がドアを開けるか。
君が諦めて去るか。

『恭弥、だって今日はバレンタインですよ!一緒にチョコ食べましょう!』
「いらない。」

答えるのに悩む時間はなかった。
それでも残る思考。
あぁ今日はバレンタインなのか。
今更ながらに気づく事実。
学校に行っているから曜日の感覚はあるが、日にちの感覚があまり無い。
毎日同じ恰好で、毎日がただの暇つぶし。
休日までの秒読みが日常。とくにする事もないけど。
僕には行事なんて関係ないし。

「学校行くから帰って。 …咬み殺すよ?」
『分かりましたよ、帰ります。玄関にチョコ置いとくんで食べてください。』

やけに今日はあっさりしてるなんて、変な事を考えてしまった。
ブツリと途絶える通信と、去っていく足音。
玄関先は突如として静けさに包まれる。
耳元でする音は、時としてリアルだ。

そおっとドアをあけてみると、小さい箱が一つ。
見回しても目障りな人物の影は無し。
拾い上げてまじまじと眺めると、けっこう丁寧にされたラッピング。
それでも骸が自分でやったんだと分かるくらいの粗はあった。

(…手作り?まさかね。でも骸が自分で包んだとしたら…。)

包装紙の貼り方、リボンのかけ方。
丁寧かつ慎重に行われたであろうそれらは、ただ一人を主張する。
手先は器用なくせに、けっこう不器用な生き方をする男を。
キレイに包まれた包装紙をビリビリに破く。
小さな箱を乱暴に開ける。
ただ一人を壊すように、興味がある箱までを裸にする。
中にはココアパウダーを被ったトリュフが三つ、並んでいた。
玄関前、かじかんだ指でその中の一つを… 一番右のトリュフを摘む。
きちんとした丸の中の、少しの歪さが彼らしいのかもしれない。
人差し指で口に入れるとすぐに溶け始めるほど柔らかい。
舌の上を転がしてみても、トリュフは口の粘膜に絡みつく。
食べてしまっても残る甘さ。

「美味しかったですか?」

耳から入り込む甘さ。
気づいたときにはもう遅かった。
後ろからきつく抱き着いて肩口に顔を埋めてくる本日のパティシエ。
耳の鼓膜に絡みつく、気をそらしても無駄な声。
真ん中に置かれていたトリュフが君の指で僕の口の中に押し込まれてゆく。
されるがままっていうのも嫌だから、骸の指を舐めてみた。
ココアパウダーは、苦い。
背中に押し付けられた骸の心臓が、少しだけ早くなったのを僕は感じた。
あぁ、彼もそういえば人間だった。

最後の一つ。箱からとって、僕は君の口にそれを入れる。
後ろにある顔が僕の指に近づいてトリュフを攫っていった。
指を舐めるのは忘れずに。
僕の左手は、きっと心臓に直結してるんだと思うくらいにドキリ。
そう、僕も血の通った人だった。
右手に置かれた箱がゆっくりと地面に落ちる。
それは落ちるや否や、骸本人によって踏み潰された。
振り返ると、飛び切りの笑顔。
どちらの色の瞳にも、僕意外は写っていない。
甘さを共有した二人だけ。

骸に踏みにじられるなんて運が悪かったとしか言いようがない。
先程までトリュフが入っていた箱に哀れみを注ぐと、顎に指をかけられた。
こちら以外見るなと言わんばかりの赤い目。
僕の手元に届くまで、その箱はとても慎重かつ丁寧に扱われていたのに。
この態度の変わり方が僕を怖がらせてるって、君は知ってる?
僕は箱には成らない。君の熱で溶けるチョコになるよ。

「けっこう自信作です。だからもう一度食べさせてください。」
「ん、勝手にして。」






もし君とまたキスをしたら
きっと時間なんて止まってしまう