白菊を赤く染めろ
「万斎、」
昼と言うには早く、朝と言うには遅い時刻。 耳に心地よい彼からの鶴の一声。 足早に彼の元へ向かう。 朝から晋助の機嫌を損ねたくはない。 特に今日、今日だけは特に。
一声かけて扉を開けると、人を呼んだくせに彼はまだ布団の中にいた。 武士らしく右手を下にして横向きに寝ている。 が、彼がそうしている姿はどこか子供のようで。 口にはしないが、鋭い隻眼が閉じられているからだと思った。 白磁の肌にまつ毛が影を落とす濃淡。 薄く開かれた唇の血潮。 嗚呼、直視なんてしていられない。
「…晋助、」
誤魔化すよう名を呼ぶと、彼は面白そうに立ってる俺を見上げた。 まどろんだ流し目が言っている、据え膳は食わないのかと。 伏せられた睫毛や、薄く開いた唇が誘う。 俺はまず息を飲んだ。 次に生唾をのんで最期に盛大に息を吸った。 …日のあるうちから盛る気は無い、何よりこの据え膳は毒だ。 昨日日付が変わるまで貪ったばかりなのだから。
この時ばかりは色つき眼鏡にも感謝せねばなるまい。 なんとか視線を艶やかな男から外し、とりあえず着替えをと部屋を見渡す。
何せ、今この男は布団を着ていると言う状況。 しかし彼は無言で部屋の隅を指差した。 取ってこい、と言う事だろう。 病的な白い腕が差し示す先。 キセルでも取ってこいとかじゃ無かろうか。 おもむろに視線を右にずらす。 そこには紫の布が丸め置かれていた。
それは昨夜、俺が贈った着物。 彼は気に入ったのか気に入らないのか受け取った途端、それを部屋に落とした。 いまそれを取ってこいという事は、気に入ってくれてはいたのか。 彼と共にいるのは、常に探りあいなのと同等だ。
とりあえず着物を持ってきて、彼に羽織らせる。 彼の背中。見るたびに思う。 一体、この華奢な身体の何処に修羅を宿しているのだろうか。 俺が贈った着物は、するりとその背に馴染んだ。 嗚呼、馴染むに決まっている。 高杉晋助という人間は、自分に相応しいものしか選ばないのだから。 彼だけが着こなせる女物の着物。 例えばそれが、けばけばしい物だとしても。 布団から立ち上がらせてから帯を結んで、高杉晋助は完成した。 しっかりと結う必要はない。 末紫(うらむらさき)の中に徒咲く大輪の白菊。 紫の間から惜しげもなく晒されるのは、白い腕、太股、くるぶし。 のぞくもの全てが白い。 見惚れていると彼が刀を手に取って部屋の出口にいた。 一つ眼が射ぬく。
「なぁ万斎、斬りにいこうや。」 「…なにゆえで御座るか?」
彼は居合い斬りと同じ間の詰め方で互いの膝頭が触れる距離へ入る。 ふわりとした動き。俊敏だ、しかし性急でない。 そして俺の首に両の腕を回し口付けると見せかけてから、胸にもたれた。
「白い菊より、俺ァ赤い菊が好きなんだ。」
ククッと、嗚呼彼は至極楽しそうに笑った。 着物は気に入ってもらえたのか、色以外。 ならば今日は、望み通り贈り物に仕上げをしなくては。 白い菊も返り血で赤く染まれば、花言葉すら変わるだろう。 その細い手と、自らの手を繋ぎ歩こう。
「生まれてきた事を感謝する、晋助。」 「あぁ万斎、 …帰ったら、脱がしていいぜ。」
たとえ高杉晋助という男が幾千もの血に彩られていたとしても 過去の白い面影に未ださいなまれ続けていたとしても 河上万斎という男が惚れ込んだのもまた事実だから
「拙者は隣に居るで御座る。」
望むのならばその手を引いて、血の修羅場へと連れていく
|