SuddenStory





どす黒く長い川。その岸をギルベルトは弟の前を尖った草花を踏みつぶしながら歩き続けてきた。
空だって雨が降り出しそうな陰鬱な灰色。
訳も理由もない、険しい表情のまま、ただ後ろから来るルートヴィッヒの道を黙々と作り続けていく。
ぬかるみをぐちゃぐちゃ進んでいくと、子供の声が呼び止めた。
けだるげに兄が振り返ると、弟は何か持っているらしい両手を背中の後ろに隠す。
面倒だ、兄の表情は一瞬影を落とすが、歩くのも疲れたので弟に付き合うことにした。
だくだくと流れる川を背に立ち止まる。
見せろよ、そう言うと弟は嬉々として両手のひらを差し出した。

「…足、か?」
「そうだよ、兄さん。綺麗だろう?」

得意げに笑う弟の顔をちらりと見て、兄もひひひと笑ってみた。
硝子の様な碧眼がぎらぎら鈍く輝いて、にこにことギルベルトを見つめている。
弟が手に持つ小さい足は、生白いが不思議と腐敗しておらず肉の形を保っていて不自然な大きさの靴を突っかけていた。
こんな川辺に落ちているのが不自然な、新しい革の匂いがする軍靴。

「その靴、…それ」
「兄さんのじゃないか」

そう、俺のか。弟が吐き捨てた言葉の意味を兄が理解するころ、ぐらり、ギルベルトは崩れて廃液の川の方へと落ちていく。
右足に力を入れても力が入らない。違う、足が足が足が――― ない。
ギルベルトの見開いた赤い瞳には弟のぎらぎらとした笑みと、軍靴を履いた確かにギルベルトと同じ生白い足が焼きつく。
背中に黒ずんだ川の気配が近づく。
兄がとっさに伸ばした手をぱしんと弟は振り払い、ギルベルト川に落ち音をたててしぶきがあがる。

「兄さん、ありがとう兄さん… 歴史の大河に沈んでくれて、兄さんありがとう」

ぶつぶつと弟は繰り返す。
生白いギルベルトの身体は黒い川に飲まれていくが、ルートヴィッヒの目にはぎらぎら輝く水面しか映らない。
黒い川はゆっくりとギルベルトを絡め取り飲み込んでいく。

「生まれてくれてありがとう、そして今日死んでくれ」

生白い足と軍靴を抱きしめて、愛しい愛しいと接吻する弟の唇の何と鮮やかなことか。
兄が見えなくなった化学まみれの川に、腕をぶんとふって力いっぱい足と靴を投げ捨てる。
ぼちゃん、ばちゃん、二つの異物を川は何事もなく飲み込んでいった。
雨が降りそうな空は、いまだ雨はふらずにどんよりとしたままだ。

「行こう」

石ころの間に生えた硬いぎざぎざの草を分けて、川っぷちをルートヴィッヒは一人でずるずると歩いて行く。
褒めくれる声も撫でてくれる腕ももういない。
ふふっと声にだして笑ってから、弟はしゃがんで歴史の水面を覗き込んだ。
ぎらついた水底から、ぷかり、濁った目をした首が浮かび上がる。
黒い羽帽子を被った、ルートヴィッヒと瓜二つの少年。
薄い唇は開くと、歌うように呪いを紡ぐ。

「何故、お前が生きているんだ 俺は死んだのに お前は」

いったい、誰なんだ。ルートヴィッヒの言葉が声になる前に小さな手に引きずり込まれる。
ばしゃりと落ちた先は歴史の大河。
同じ顔が二つ寄り添うように黒い川を漂って、水底に招かれゆっくりと沈む。




あとはただ静まり返った 国 だけが残った。