今日も雨、昨日も雨、明日もきっと雨だけど
アーサー宅に押しかけるフランシスにとっては、とても都合がいい
ぱちんと玄関で傘を閉じ、そしてしばらくの沈黙
それは今の現代人には通じない、国として長く生きる二人に通じる暗号
じっと傘を見つめていたアーサーもフランシスの言いたいことが分かったらしい

「アーサーとお話したいわ、なんてね」
「ずいぶんと懐かしいな、傘の暗号なんてどの時代だよ」

本日最初の世間話としては合格だったらしい
アーサーはフランシスを暖かい部屋の中へ招き入れた







RainyRainyLondon







「ほんと、飽きずに雨ばっか。あ、昨日の夜は雪だっけ?」
「黙れ、髭」
「…あぁ怖い怖い」
「針山にしてやろうか?」
「刺繍だってお兄さんが教えてあげたのに酷くない!?」
「知らねぇよ」

アーサーは雨の日、庭仕事が出来ない
だからソファでちくちくと刺繍に精を出す
季節になれば庭に咲く赤い薔薇が、ハンカチにも綺麗に咲き誇っている
急ぐわけでもなく、一刺し一刺し、繰り返し赤い糸を縫い留めていく
凛とした姿勢の隣で、ベルベットのクッションに凭れるのはフランシス
自国から持ってきた雑誌を片手に、また自国から持ってきたクッキーを口に運ぶ
そして中世社交界風ファッションの批評に実際の中世を思い出して笑う
扇子だったりパラソルだったり、昔のレディはもっと大変だったのに!
フランシスはアーサーにこの笑い話を振ろうか迷ったが、溜息一つで諦めることにした
中世の文化は全部、フランシス直伝だったからアーサーはきっと不機嫌になる
玄関での世間話のネタになった、それでこの記事の役目は終わり
それに隣に座るアーサーをちらりちらり、見つめる方が何倍も面白い
だっていつもは同じソファには座らないし、座れないのだから
ふと気付くと対面している事が多い
弟君は隣に座らせるのに
それに晴れたらきっと、アーサーはすぐにでも庭へ出てしまう
お兄さん的には、ただ傍にいれればいいんだけどなぁ
自分でも思っている、なんという臆病な恋をしているんだと
ソファの両端に座り、互いに悪態をつきながら、決して目は合わさない雨の日
アーサーが刺繍に夢中になると、決まってフランシスはアーサーに餌付けをした
差し出すと視線は刺繍から一度も離さず、アーサーは慣れた様子で音もなくクッキーを奪い取る
口に押し込んだ人差し指に歯を立てるのだけは忘れずに
指先から痺れるような痛みがフランシスに伝わった

「強奪は昔からお手の物だよなぁ」
「…刺すぞ?」
「はいはい、クッキーどうぞ」

また一枚ぱくり、もぐもぐと頬が動く
口の端に小さいかけらがまだ残ってるのにアーサーは気付かない
フランシスが意地悪くにぃと笑う
その表情に、アーサーは刺繍しか見ていないから気付かない

「アーサー、クッキー」
「ん、」

繰り返しという行為は、魔法だと思う
殺し合いもする腐れ縁だというのに、何も疑わずアーサーは口を開く
薄く色づいた唇は、咲く前のロゼの蕾のようにふっくらしている
様に、フランシスの目にはしっかりと映っている
きっちり絞められたネクタイを引き、唇を奪うのは容易なことだった
音もなく食む、今日初めて瞳が正面から引き合う

「っな、何して、…」

真っ赤になった顔と鉢合わせ、驚いたアーサーの瞳には同じぐらい驚いたフランシス

「……、ごめんお兄さん帰るわ、雨の日ばっか押しかけてて調子狂ったかも」

刺繍枠がカランと落ちた
アーサーは口元を両手で覆っているが耳まで真っ赤になっている
鉄拳を覚悟してガードの体勢に入っていたフランシスは唖然としていた
緑の瞳に映る、自分の表情は

嗚呼、その表情はいけない、お兄さんそれ位分かるよ
アムールの国だもんだって、それは愛してるって顔だ

気付いた時には飛び出していた
掛けてあるコートを羽織り、勝手知ったる扉を開け、深緑の傘をさす
こんなとこまでアイツの色かと、フランシスは足早に歩く
冬のガーデンは寂しいし、冬の薔薇はもっと悲しい
灰色の雲が重く垂れこめて、ロンドンは色が死んでいた
迷路のような庭も冬の寒さに精彩を失っている
石畳を踏みしめるたび、ばしゃりと音がする
雨は弱くない、傘を打つ音がやけに響いていた

「待て、よ」

庭は過ぎた、あと門を一つだけ
だけど煩い雨の中から小さい声がはっきり聞こえる
敷地を出るまであと三歩
聞こえないふりをすればいい、出来るならば
…繰り返しという行為は魔法だと思う
アーサーをフランシスが無視できた事なんて、無い

「なぁに、アーサー」

くるり、ゆっくりと振り返る
大丈夫、きっといつも通り笑えてる

「フランシス、お前… 俺のこと好きなのか?」
「…冗談だよ、ごめんねアーサー」
「嘘だ、お前のその顔の意味くらい、俺でも分かる」

水たまりに映る二人の顔は雨粒に打たれてぐしゃぐしゃだ
何の表情も映さないのに、同じ波紋に揺らめいている

「腐れ縁でさ、いいよ。壊したくないんだ。」

深緑の傘がフランシスの表情を覆い隠す
もう一度背を向けよう、意を決して踏みだすとバサリという音
フランシスが顔を上げると、さしていた傘をアーサーが手放したところだった
黒い傘がくるり、石畳に落下する

「アーサー、何やって」
「傘を閉じる、は?」
「…え?」
「ここに来たときやってただろ。お得意の社交界だ。」

ぐしゃぐしゃに濡れるシーンには場違いな思い出
灰色のロンドンでそんな洒落たものを見るとは思わなかった
それは社交界のプリンセス達が愛用した秘密の愛のサイン

「“貴方と話したい”、」
「じゃあ傘を閉じて右手に持つ」
「“ついてきて”、」
「じゃあ俺は何をした、フランシス?」

コートも着ずに、ただ雨に打たれているアーサーの足元には、傘が転がっている
アーサーの白いシャツが灰色の世界にぼんやりと儚く浮かぶ

「傘を落とすのは…、」

そこまで言って、フランシスは顔を覆った
両手で覆っているが耳まで真っ赤になっている
傘なんてもう曇天へ投げてしまった
雨が冷たく皮膚を刺す
はずなのにどうして顔が熱いのか

「アーサー、…俺のこと“愛してる”?」
「…だから、冗談なんかにするな」
「聞こえない」
「仕方ないから、髭で妥協してやるってんだよ!」
「こっちもその眉毛、相当妥協してるけど?」

暴言が帰ってくる前に、右ストレートが飛んできた
受け止めていなすと振り払われ、次の一撃は左膝が鳩尾を狙う
フランシスは一歩下がって、凶暴な身体をぎゅっと抱きしめた

「このワイン野郎!」
「…変わるわけないか、壊れるはずもないしね」

繰り返しという行為は、魔法だ
何百回も何千回も繰り返し殺しあえば、きっとそのうち恋になる
あんなに合わなかった瞳が、おかしいくらい見つめあう
フランシスは溜息一つで諦めることにした
恋に臆病なんて、まったくらしくない

「凶暴なところも大好きだよ、アーサー。貧相な身体も俺好み」
「…最初からお前はそうやってりゃいいんだよ、いきなり奥手になりやがって」

雨から庇うように抱くと、華奢な身体は大人しくなる
薄着で外へ飛び出して雨に打たれ、冷え切った身体が酷く愛おしい
ぽつりぽつり零れる悪態が、変わらない腐れ縁と新しい関係を悟らせた
雨で張り付いた前髪を分けてやってから、幼子にするように額へ口づける
ゆっくり閉じた瞼にもキスを落とし、鼻先を甘噛みしてから頬に手を添える
フランシスが唇を寄せるより早く、アーサーがキスを仕掛けた
一度舌を絡ませてから、ギラリと視線も絡ませて、呼吸のために離れる
アーサーの赤い舌、が扇情的に唇を舐めている
そうだ、キスくらいで真っ赤になるほど奥手じゃないだろアーサーは
面白くなって、フランシスはアーサーの腰を抱き寄せた

「熱烈だねアーサー、お手柔らかに頼むよ」
「手加減無しだろ、ダーリン」

遠くの方に鐘が聞こえる
あぁ三時か
互いにぼんやりとそんな事を考える
雨は弱くはなく、落とした二つの傘を打つ音がやけに煩い
降る雨が冷たいから、二人の心にふっと口実が出来る
もう一度だけ、あと一回だけ、体温を共有したい
触れて噛みついて、舌を入れて、キスをしたいキスがしたい



そして求める唇は、またきっと魔法に変わる