恋の毒薬
アーサーの温室は季節が狂う
ヨーロッパは大寒波だっていうのに、ここはもう春だ
色鮮やかな花々が自分自身の美しさを全力で誇示している
深緑の小さなテーブルには真っ白なナプキンが敷かれ、同じく真っ白なカップが鎮座する
これで美味しいサンドイッチでもあったら、心地よい春のピクニックなのに
「…今日も、真っ黒なスコーンか」
「今日もって何だ!それに失敗したわけじゃないからな、わざとなんだからな!」
セントバレンタインデーでも変わらない、安定したスコーンの焦げ臭さ
二人掛けのテーブルに肘をついて、もう頭を抱えるしかない
結局、どう頑張ったって俺が食べるんだしさ
たまに此処で食事をすると誰かにつまみ食いされるが、妖精もこのスコーンには手を出しそうもない
「今日も、で正解でしょ」
「いや、その色々だな… ま、まぁ今日は特別なんだ!」
アーサーが凄むその特別はどうみたっていつも通りのスコーンだ
一つ取って齧ってみても、奇跡なんて起こるわけ無く炭の味がした
訝しげにじっと見つめると、虚勢を張る元気がなくなったアーサーがしょんぼりし始める
「真っ黒なスコーンに一体何してくれたの?」
「…今日バレンタインデーだろ? だからスコーンに」
「チョコ味だった!? 嘘だぁ! ごめん味分からなかったから」
「プレーンだ、ばかぁ!」
ぎりりとテーブルの下で靴を踏まれ、かしゃんとテーブルの上で紅茶が跳ねる
思わず立ち上がったアーサ−のリボンタイが揺れる
跳ねた紅茶がナプキンにぽつり染みこむ
アーサーの手がスコーンを引っ掴み、かりりと噛んだ
「で、何したの? アーサーも口に入れたってことは毒じゃないよね?」
「………毒だ、それもとびっきりの」
「マジ?」
「妖精の王オーベロンのレシピだから…」
「うん何か意味分かんないけど簡単に言うと原材料は?」
「三色すみれ」
思い出した、思い出したぞ
アーサーの本棚に並ぶシェイクスピアの中のどれだったか
確かハッピーエンドのどれか、どたばたの喜劇だったはず
「あれって、まぶたに塗るんじゃなかった?」
「お前絶対気づくだろ? だったら食べ物にでも混入してやろうかと…」
「怖っ!」
「…ちなみに紅茶にも混ぜてある、効果は如何フランシス?」
頬杖をついて目をそらすアーサーの視線の先で、三色すみれが可憐に揺れている
豪勢な花達の中でひっそり咲く小さな花は、相当の魔法使いだったみたいだ
ちらり、寄こされる緑色の流し目がこんなにも心地よいなんて
やっぱ自信もっていいよアーサー、幻想王国は本当に伊達じゃない
アーサーの唇の端が誇らしげに上がっている
この確信犯め
「効果ねぇ… キスしたいくらいアーサーに惚れてるよ」
「へぇ、中々胡散臭いなぁ?」
「ばれた? 本当は寝室にエスコートしたいくらい惚れてる」
そこまで言うと、右手を差し出された
微笑んで握り返すとアーサーは立ち上がり、黙ってそれに従う
硝子の扉を開き、温室を一歩出ると春の魔法はとけてしまった
吹く風は冷たく、庭に鮮やかさを誇るものは無い
最後まで残る魔法は、ゆるく繋いだ手の暖かさだけ
アーサーが玄関の扉を開き、先に入っていく
レディーじゃないからファーストされないのは分かってるけど、ちょっと凹む
俺も早く入って、寒いから扉を閉めないと
そう思っていると、繋いでいた手を解かれた
すっと差し出された左手は、入るなと制止を要求している
玄関の壁に寄り掛かったアーサーが意地悪く笑う
あと一歩、この敷居が越えられない
「で、本当のところ、効果は如何?」
「撤回するよ、アーサー」
あと一歩、この敷居だけ越えればいい
にぃと笑ってから寄り掛かっているアーサーに覆い被さる
制止する邪魔な両の手は絡め取って壁に縫い付けてしまおう
不遜で達者な口も塞いでしまおう
鋭さを孕むエメラルドが目蓋に隠れたら、それが合図
玄関の扉を後手で閉めて、赤い唇に噛みついた
「何処でも襲いたいくらい、お前に惚れてるよアーサー」
「上等だ、フランシス」
呼吸の間にぎらりと見つめられクラクラする
お土産に持ってきたワインが冷蔵庫で飲みごろになるまで
魔法にかかってセントバレンタインと洒落こもう
リボンタイを解いて三番目のボタンまで外すと、わざとらしくアーサーが鳴いた
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