招待

 

アンティックな呼び鈴を鳴らした所で、この家の主からの返事は期待できない。
三回鳴らして駄目なら潮時だ。
家の中へ招かれるには、この庭にいるだろう坊ちゃんを探さなくてはいけない。
あーあ、本日一回目の溜息。
家自体の大きさはそう馬鹿でかいわけじゃないけど、迷路の庭を探すとなると話は別なわけで。
いつぞや菊が赤い屋根の大きなお家とか言ってたな… アーサーん家の屋根、緑なのに。
何それと聞いたら、お気になさらずとはぐらかされたけど本当、なんだったんだか。
はぁ、本日二回目の溜息をこっそりついて辺りを見回す。
とりあえずここかなと思いついた順に庭をぐるぐる。
小さな池の横にある古臭いベンチに、噴水横にあるレンガの花壇。
ガラス張りの温室にも鍵がかかっている。
分かったことは相変わらず手入れが完璧ってことぐらい。
結局、歩いて家の反対側まで来てしまった。

 

「おーい、アーサー」

「あぁ?何だヒゲ。」

 

窓を覗き込みながら声をかけると、背後で不機嫌な声。と、首筋に何やらひやりとしたモノ。
窓ガラスに見覚えのある人影が映っていて振り返ると、不機嫌な家の主が立っていた。

 

「いや、とりあえずその物騒なハサミしまって、ね?」

「…で、何のようだ。」

 

首筋の凶器からやっと解放され、ようやく向かい合う形になる。
アーサーは右手に刃、左手には香りの強い薔薇を抱えていた。
手に馴染む美しい花バサミも、よく研がれた刃を向けられたら無骨なナイフと変わりない。
丸腰の客人に背後からとは、さすが元海賊紳士。やることが違う。

 

「お兄さん、用が無きゃ来ちゃダメなわけ?」

「あぁ来るな。二度と来るな。」

 

右手に持ったハサミをちらつかせてくるのはいささかお行儀が悪いけど本気じゃないのは知っている。
やたら細められた可愛くない目がお兄さんは大好きだから別にかまわないし。
昔もっと酷い目で見られたこともある。殺されそうになったし、本気で殺そうとしたこともある。
あの頃に比べたらねぇ、アーサー。

 

「丸くなったよなぁ。」

「なんだ、虐めてほしいのかよ?」

「いや、そうじゃなくて。」

 

また100年殴り合いするかなんて、笑いながら言わないの。
それにほら、例えば今。知ってる? もうさっきとは違う目してるってこと。
左腕にどっさり赤薔薇抱えて、まったくどこの伊達男?
ワイシャツにアームカバー、ズボンに長靴で頬を泥で汚しているのはちょっと紳士じゃないけれど。
まぁ海賊時代より全然マシだ。
ぶつぶつ悪態をつきながら、俺を映すその深緑の目が

 

「好きだよ、アーサー。」

 

なんて、思わず零くらい十分に魅力的。
ふぅと耳元へ低い声を流し込めば、変なところだけ初なアーサーはもう喋れない。
細い腰を抱いてもっと近く、瞼に唇を落とすとふるふる震えるまつ毛。
ばさり、アーサーが左腕に抱えていた薔薇を芝生に落とした。
文句を言おうとする口は艶やかであえかな声を洩らすだけ。
キスしたい。今、キスがしたい。

 

「ねぇ、キスしよう」

 

そう言って薄い唇にかみつけばいい。
家の壁に体を押し付け、童顔な輪郭を指で撫で、目を閉じて引き寄せて―――

 

「ばぁか」

 

濡れた吐息に混じる、聞き慣れた小生意気な声。
俺の唇には、柔らかい薔薇の花が押し当てられている。

 

「…ちょっと酷くない?」

「ハサミの方が良かったか?」

 

仄かに上気した顔で挑発的に見上げられても、腹のあたりに鉄の塊を押しあてられたらもうお手上げ。
手に馴染む曲線が美しい花バサミも、よく研がれた刃を向けられたら無骨なナイフと変わりない。
キスの寸前に死角からとは、さすが大英帝国様。やることが違う。
本日三回目の溜息をつくと、ごとりと鈍い音がした。
音のした方をちらりと一瞥すると、鈍く光る花バサミが芝生に転がっている。

 

「ちょっとアーサー?」

「これも邪魔なんだろ?」

 

そう言うと俺の唇に押し当てられた薔薇にアーサーは噛り付く。
薄い唇が薔薇を食み、ちらりとのぞく犬歯が花びらを食い破った。
棘を持つ茎と同じ色をした目に射られて、脳髄が甘く痺れる。
唇が欲しいと思った時にはもう触れていた。
腰に回した手をさらに引き寄せ、空いた手で頭を掻き抱く。
逃げる舌を追いかけると必要に焦らされたり気まぐれで追い込まれたり。
暗黙の掟すら破り見つめ合いながら、ただただ貪りあうキスを。
響く水音の中、落ちた薔薇はもう見向きもされない。
それはアーサーの足でぐしゃりと潰されてなお甘美な香気を放っていて。
その香りがくすぶる劣情にだんだんと火を灯していく。
窒息するまで息を奪いあい、舌を軽く噛まれて唇を離した。
腰に回した手は解かないけれど。

 

「何? …もうギブ?」

「は…、そっちだって感じてるじゃねぇか」

「アーサー、続きしたいから家に招待してよ。」

「ベッドまででいいか?」

 

吐息交じり、艶っぽく動く唇に見惚れて頷くと手を払われた。
するりと腕から抜け出たアーサーは窓枠を飛び越えて赤絨毯の廊下にふわりと降り立つ。
振り返ると恭しく右手を差し出した。

 

「さぁ御手をどうぞ、フランシス。」