WordWordWord






「to be or not to be…」
「“生きるべきか、死ぬべきか”かい、アーサー。」

執務室のソファーに革靴のまま寝そべり、ハードカバーの本を広げていたアーサーの口から独り言が飛び出したとき、アフルレッドが部屋に一歩踏み入って独り言が二人言に変わった。別に声がしたからと言ってアーサーがそちらを向くわけでもなく、ページをめくる音だけが続く。同じ台詞をもう一度アルフレッドが唱えると、アーサーは枕代わりのクッションを直しながらやっと一言返事をした。

「“するべきか、しないべきか”だな。」
「おや、何をだい?」

カツカツと革靴を鳴らしてアルフレッドがソファーに覆い被さる。部屋の入口からソファーまで五歩ぐらいで埋まってしまう距離を詰められ、影が出来て本が読めなくなったせいかアーサーの表情が苦々しいものに変わり、さらに相手が退く気もないのだと知ると眉間に皺を寄せ、ぎろりと睨んでから乱暴に本を閉じた。そしてその本をクッションの下に押し込んで、少し高くなった枕で上から覗きこむアルフレッドと眼を合わせた。迷惑な元弟、アルフレッドは答えを急かすように好奇心旺盛な眼で見つめている。

「甘んじて撃たれるか、銃剣で踏み込むか。」
「またあの時のことかい…、引き金を引くべきか引かないべきか。」
「そう、選択なんて永遠考えたのに、決める時は反射に近い。」

過去という遠くを見る緑の眼は、枕にしていた本を寸分の狂いも無くアルフレッドに投げつけた。放物線を描くそれをアルフレッドが取り損ねることもなく、上手くキャッチするとそれは台詞の書かれたハムレットではなくて、1775年のとある日から白紙になっている色あせた日記帳だった。アルフレッドは知っている。この日記の最後はto be or not to be で終わっていることを。もぞりとアーサーは寝返りをうって背を向けた、トラウマにも。弟にも。

「俺は、君を選んだぞ。」
「ばぁか、俺だって撃てなかった。昔は、色々大変だったな…。」
「アーサー、今も悩んでる俺はどうしたらいいと思う?」
「はっ、またどうせ下らな」
「to be or not to be this is a question.」

真剣な低い声にアーサの肩が跳ねたが、そんな些細なことに今のアルフレッドは気づかない。また遠くを見始めた緑の眼に腹が立って、アーサー自身に覆い被さり指を顎にかけて無理矢理に視線を絡めていく。空いた方で頬に手を添えたけど今日に限って何で皮手袋なんか付けてきたんだ、体温が分からなくて妙に焦れた。その焦れているのがアーサーにも伝わったのか、そっとアーサーの皮手袋がアルフレッドの髪をぐしゃぐしゃにする。途端に熱に浮かされた男の目がふわりと弟の青い目に変わり、その変化を弟の腕の中に囚われている兄は笑った。

「…アルフレッド、残念ながらお前にハムレットは向いてない。」
「俺もそう思うぞ。」
「そうだな、お前にはドンキホーテあたりがお似合いだ。」
「猪突猛進って言いたいのかい?」

そういって首筋に噛み付いた弟を冷めた眼で兄が見つめているという事を、噛み付いている当の本人は気づくはずがない。皮手袋で皮手袋をソファーに縫い付けるという、虚しくも背徳的な行為は無抵抗のままに進んでいくが、きつく吸って赤い所有印を落とすころになると軽く腹に蹴りが入った。海賊紳士と呼ばれるアーサーからしたら、かなり手加減したものだろう。そんな抵抗でアルフレッドがどくわけなかった。

「ドンキホーテが旅に出たのは本の読み過ぎが原因なんだ、そっくりだろ。」
「まったく君は酷いな、影響されやすいってことかい?」
「ご名答。独立宣言だって俺のとこ見本にしたくせに。」
「…じゃあ君にハムレットは譲るからな。」
「俺は別に青白くはないな。」

どうだか。アルフレッドは軍服の金ボタンを乱暴に外しながら思った。アーサーのネクタイを引き抜く自分の指先に焦れながら、この人の体はこんなに白いのに自分でよく言うよ。そういう結論に達したけれど、それをアーサーに伝える気は毛頭ない。そしてこのタイミングになって、弟に押し倒された時どうすればいいんだろうと見当違いな方向に頭を働かせているアーサーは、考えることを放棄してアルフレッドのネクタイを引っつかんで乱暴に唇を合わせ、驚いて呼吸を止めた瞬間に舌を侵入させ酸素を根こそぎ奪った。赤く熱い舌は、皮膚同士の触れ合いの上を行く快感を生み、二人を溺れさせる。互いに苦しくなって惜しむこともなく唇を離し、アーサーは余裕の表情で口元を拭った。

「はっ、散々悩み散らしておいて、大胆なとこは妙に大胆。海賊紳士にはお似合いだよ。」
「ちっ…、気の狂った芝居でもしろって?」
「まぁちょっと芝居はして欲しいな。ほら、これ。」
「手紙?俺に?」
「ほかに誰がいるんだい?いいから開けてよ。」
「白紙?」


「好きだよ。」

「ア、アルフレッド…」
「嘘とか思わないでくれよ。」

金ボタンとの格闘を終えたアルフレッドは、白く薄い胸板に舌を這わす。アメリカ大陸という荒野を育てたのはこのアーサーで、そして二度も戦争した相手もイギリスで。どうしてこの人にこんなに焦がれるんだろう。どこでどうなってしまったんだろうと思っても、もう何もかもが遅い。きゅっと瞑られた涙目には優しく口付けしたくなるし、半開きの口から見える赤い舌なんか絡めたくて仕方がない、そう思ってしまうのだアルフレッドは。いつからだと問われれば正確な時を指し示すことはできないが、気づいたら焦がれていた。今組み敷かれてる兄、アーサーに。

「なんで今更…」
「恋愛小説の読みすぎかな。恋がしたくなったよ。」
「も、ばか… 、別にお前のためじゃ… ないんだからな。」

緑の目からぽろぽろと涙が零れ落ちてクッションを濡らす。さっそく眼尻に吸いつくとくすぐったそうに小さい身体がさらに小さく縮こまった。面白くなって脇腹あたりをつぅと撫でると今度はぴんと突っ張った。さっきまでソファにいた不遜な態度の元帝国様はどこに行ったんだか、耐えきれなかった吐息が甘くアルフレッドの耳を掠める。

「アーサー、君泣きすぎだよ。オフィーリアみたいに溺れるつもりかい?」
「女じゃねぇ、お前になんか溺れてたまるか、ちくしょう」

撫でる手をアルフレッドが止めてやると悔しそうな真っ赤な顔と目が合う。眼なんてほとんど蕩けきってるのに、なんてプライドが高いんだ。呆れてため息をつきながらアルフレッドは思ったが、ふと自分のシャツを掴むアーサーの手に気づいた。ぎゅっと握って離さないアーサーの手。なんだか心がほかほかしてきて、両腕で思わず抱きしめていた。

「溺れるのもなかなか良いと思うけど?」
「ばぁか。寝てる間に耳から毒注いでやる。」
「じゃあ俺も注ごうかな。」
「何を?」

アーサーがハムレットになぞらえて返してくるあたり、さすがシェークスピアの生まれた国だとアルフレッドは一人納得したが、自分だってこの人に育てられたんだと思い返す。触れ合った皮膚がどくどくと早く脈打った。

「word word word」
「言葉?」
「そう世界中の愛の言葉さ!」

このぐらいさ!と両手を大きく広げる弟を兄は至極満足そうに眺めて、アーサーはソファーに倒れ込んでアルフレッドを誘う。不遜な態度で細められた流し目がいつかの帝国時代のようで、アルフレッドは背中がぞくりとした。

「なぁアル、口説いてみろよ。」








言葉はもういらない
                      ―――あとは沈黙。